人間には、神から自由意志を与えられています。それぞれの人間には選択の自由があります。利己主義的な生き方を選択し、この世を物欲・情欲・権勢欲のままに生きることもできますし、福祉活動を志し、愛と奉仕の精神を持って生きることもできます。

 利己主義的な生き方をした場合には、その結果として、他者との対立、混乱、国家の場合には戦争にもなります。愛と奉仕の生き方をしたならば、お互いにむつみあい、友好的な関係の中で、平和な日々の生活を送ることになります。


 日々のニュースを見た時に、21世紀のこの時代にあっても、戦争の惨状があります。

我が子を失った母親の嘆き、住まいを破壊され、住む場もない中、薄暗い地下で凍えながら

戦火を逃れる姿を目にするとき、心に痛みを感じる方も多くいらっしゃるかと思います。


 どうしてこんなことになるのか? ありえない! とこの世の不条理を感じざる負えません。同じ人間同士がなぜ殺し合わなくてはならないのでしょうか? 争い・対立はそこに物的な欲望による選択があるからではないでしょうか。


 人間は本来、霊的な存在であり、霊性において同じ兄弟としての存在です。そのことをより多くの人が知ることによって、愛と奉仕の行いを選択する人がより多くなることによって、はじめてこの地上世界が真に平和な世界へと変わるのではないでしょうか。




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日々の生活にあっては、いろいろと気苦労が絶えないものかと思います。体の欲求を満たしてあげなくてはなりませんし、金銭的な問題も生じてきます。そんな日常生活の中では、雑事に追われ、霊的意識を見失いがちです。

自分は霊なのだ、と意識してはいても、気づくと物的な意識になってしまっていて、ああ・・・また元に戻ってしまっている、と反省することもあります。

そんなことを繰り返していると、なかなか思うようには進まない状況にため息が出たりします。

 物事はなかなか直線的には進んでいきません。

 霊訓にも、進化は、海の潮の干満のように満ちては引き、進歩と退歩を繰り返し、少しずつ進んでいくように説かれています。

子供の頃によくかかっていた曲に「365歩のマーチ」という歌がありました。人生は、“3歩進んで、2歩下がる”というフレーズが印象的でした。その頃の私には、何で下がるのだろう、というなかなか進まないことへの不満がありましたが、今ではよくわかる気がいたします。

繰り返される日々の中には、代り映えしない感じがあります。でも数年単位で振り返る時には、真理への理解が深まり、生きる姿勢が変わってきていることに気づきます。






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私たちは、理想と現実の中で生きています。


何気ない日常の中で、“自分はこうありたい”という理想の自分と実際の現実の自分の姿との間に差異を感じる時、そのギャップに心理的葛藤が生じます。それを人は苦しみとして感じるのではないでしょうか。


苦しみは地上世界的な価値観では、忌み嫌うべき心情ではないでしょうか。


ですけどシルバーバーチの教えでは、“苦しみや困難の体験を通して、霊的成長が得られる“、ものであることを教えています。また、”苦難から教訓を学び取るという姿勢が大切です“、とも教えています。


霊的知識を学び、霊的な視点を得ることによって、苦しみや困難の受け止めたかが変わります。


今、新型コロナの感染の広がる中、多くの人々が苦しみを感じる生活を送られていることと思います。このコロナ禍の渦中にあって、霊的知識の大切さを感じます。(K2)






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