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  • K.I

聖書について思うこと

(1)旧約聖書

 旧約聖書39巻きは、古代ユダヤ人の信仰の書で、現代でもユダヤ教の正典です。(ユダヤ人にとっては、「聖書」であり、旧約聖書とは言いません。)

 キリスト教では、旧約聖書は、イエスキリストの出現を証ししている書物と位置づけています。

 旧約聖書は、紀元前の古代の周辺諸国の伝承や神話、歴史等を信仰という観点から記されたものであり、史実を信仰という視点から、また、伝承や神話等をユダヤ人の救済という視点から記されています。

 しかし、旧約聖書は、人間の悲哀や苦しみ・喜び、正しく生きるべき姿が記されており、人間味溢れた書物でもあり、感慨深く読むと、人間の生における救済という観点からも読むことができます。


(2)新約聖書

 新約聖書27巻は、イエスキリストの救世主として証の書であり、イエスを通しての人類救済の書と言えます。

新約聖書では、イエスの行った様々な奇跡がでてきます。マリアの処女降誕に始まり、水瓶をワインに変え、病人を癒し、死人を生き返らせ、また、嵐を鎮め、湖上を歩き、悪霊を追い出し、十字架にかかったイエス自身が復活した話です。

これらの奇跡物語は現代感覚では到底信じられません。ノンクリスチャンが「えー、クリスチャンの人たちは、本当にこんなこを信じてるの?!」と言われるのも無理はありません。

そこで、私は、これらの奇跡を次のような視点でとらえています。

① キリスト教では、イエスは三位一体の神です。従って、神なのだからこれらの奇跡は当然可能である、ということです。しかし、新約聖書も宗教上の信仰の書であるという視点は忘れてはならず、イエスを神格化するために創作された点も否めないということです。

② イエスは神ではなく、高い霊性を持っていた人間と考えます。すると、上述のように、イエスは神だからこれらの奇跡は行えたのだ、ということではなく、これらの奇跡を行えたのは、イエスが高い霊性を持っていたからであり、人間が誰しも潜在的に持っている能力であるということもできます。

また、イエスは生涯を通じて「愛」を実践し、「愛」の重要性と、「愛」による救済を説いた人でもあり、人類が模範とすべき人です。

③ 聖書は、神への信仰という観点からまとめられた文学や詩、歴史、書簡等であり、旧約聖書は約3,500年前、新約聖書は約2,000年前に記されました。そこには、人間が持っている悲哀や苦しみ、嘆き、欲望などについて、人間の生が生々しく記されており、現代の私たちにも通用する人間味あふれた書物です。


〈結び〉

聖書を読み、感慨深く味わうことで、信仰の書としてはもちろんのこと、信仰ということを離れても、日々の私たちの思いや行動、生活などに再発見をもたらし、また、この世の見えること以外の、見えない世界における再発見のヒントをもたらすものと考えます。(K.I)



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